2012年度地域文化学会研究大会(第15回)

・午前の部 研究報告

午前の部
午前の部
神谷 丹路
神谷 丹路

「朝鮮開港から植民地初期における日本漁民の朝鮮出漁」

神谷 丹路(中央大学大学院後期博士課程)

バフマン・ザキプール
バフマン・ザキプール

「オリエンタリズムから比較思想へ」

バフマン・ザキプール(大正大学大学院前期博士課程)

・午後の部 

午後の部
午後の部

シンポジウム ーグローバリゼーションの下の固有文化ー

奥田和彦先生
奥田和彦先生

基調講演

「オルター・グローバリゼーションに向けて」

奥田和彦先生(フェリス女学院大学名誉教授)

 

グローバリゼーションの功罪にいう負の側面に着目した1990年代以降の世界的市民「運動」を、グローバリゼーションと特に区別して、オルター・グローバリゼーション(Alter-globalization)という(Susan George著、杉村・真田訳『オルター・グローバリゼーション宣言―もうひとつの世界は可能だ!もし…』2004年など)。これは、グローバル・ジャスティス運動(世界的に正義を求める運動)とも称される。本講演は、この系譜に連なるものである。奥田先生も訳者の一人となったミッテルマン(J. H. Mittelman, 1944-)の『オルター・グローバリゼーション―知識とイデオロギーの社会構成』(新曜社、2008年)の内容を適宜要約しながら講演は行われた。同書の副題 Whither Globalization? は「どこへいくのか」という意味合いであると説明して、本題に入った。

 オルター・グローバリゼーションという概念は、グローバリゼーションと反グローバリゼーションという従来の二項対立(binary opposition)では、世界的な問題(global issues)が解決されないとして出てきた新たな言説である。それは、歴史的変容過程において、知的システムと概念(イデオロギーの社会的構成)を動かす方法を概念化する試みである。その知的営為は、ネオ・リベラリズム(新自由主義)によるグローバリゼーションの過程が生み出す深刻な社会的不公正や環境破壊といった実態を見据えることに始まる。具体的には、1970年代以降の政治的・経済的・文化的な三角構造におけるネオ・リベラリズムの相互連結性に着目し、それが世界に及ぼす不均衡な影響を考察することによって、労働と権力のグローバル的分割といった隠蔽された非公式過程を露にしようとするものである。とはいえ、その本義は、グローバリゼーション自体に反対するものではなく、ネオ・リベラリズムをつくりかえるべき方向性を示すことにある。そのための方途として、私的企業が自らなすべき課題を設定し、グローバル市場でますます統合の度を強めるネオ・リベラリズムに対し、(1)シアトルの戦いや大規模なテロに表象されるオープンで公式な抵抗と、(2)小説、漫画や不買運動などのミクロ的なレベルの抵抗に留意する。とくに後者のレベルにおいて、より建設的な言説が含意されていると推察するのがミッテルマンの要諦である。彼によれば、権力と抵抗は、上述の二項対立的手法をとらず、社会を構成する戦略として、相互のせめぎ合いのなかで構成要素(constitutive)として現出するものである。これらの現象をスミス(A. Smith, 1723-90年)、リカード(D. Ricardo, 1772-1823年)、デュルケム(É. Durkheim, 1858-1917年)の枠組で分析を行い、そこにベーコン(F. Bacon, 1561-1626年)、グラムシ(A. Gramsci, 1891-1937年)、ウェーバー(M. Weber, 1864-1920年)、フーコー(M. Foucault, 1926-84年)およびサイード(E. W. Said, 1935-2003年)などの「権力と知の複合体」という知見を併せて、現代グローバリゼーションの社会的批判が行われる。その文脈では、反グローバリゼーションという言説は、比喩的な言葉として間主観的イメージを表象してしまうと批判される。この点、ミッテルマンは、公正な方法で機会の均等・配分を行うグローバリゼーションであれば、その態様が何であれ、賛同が得られるであろうという前提のうえに民主的グローバリゼーションを模索する。

 ここで、現実では、世界経済フォーラム(World Economic Forum, WEF ダボス会議)に対抗して2001年に始まった世界社会フォーラム(World Social Forum, WSF)が、伝統的なガヴァナンスを補う存在であらんとして、2007年に7回目を迎えている。ここで重要な点は、WSF憲章第9項が、参加することを決めた団体や運動の活動や関わり方の多元性と多様性に対し、常に開かれたフォーラムと謳っていることである。すなわち、WSFの姿勢は、あえて中心機構をつくらず、「多様な運動体による一つの運動」を支える戦術をとっている。これは、以下の理由からとられたものである。ウェストファリア条約(1648年)以降、国家は幾つかの再編を経験した。なかでも、1970年代に国有化や多国籍企業への依存などから生じた「私的経済権力」が、グローバリゼーションの主体として台頭してきた。この現象を受けて、国家は、上からは情報、下からは民主化によって挟まれる状態を余儀なくされた。そのため、その代替的機能が多元性と多様性をもつ主体に期待されていったというものである。換言すれば、現代グローバル社会において、誰の意思を優先するのかという問題を解決するには、かかる社会の歴史的変容過程において、規律的権力とその対抗権力の混合形態が熟慮されるべきということになる。このことにつき、奥田先生は、少なくもミッテルマンの言説はグローバル社会に対し、強力な問いかけとして存在していると評価する。このとき、グローバル社会の変容過程と主権国家の変容プロセスを二項対立的に捉えると、現代世界の諸相は容易に理解できないという。留意すべきは、グローバル・ガヴァナンスに達していない段階では、むしろ国家間関係が機能するということである。この点、現在は、十分なグローバル・ガヴァナンスが世界大で機能していないからこそ、最も重要なことは、グローバリゼーションの負の効果の「実際の姿」という情報が世界の市民に遍く周知されることである。すなわち、形式的な市場経済(自由貿易)という現象に隠された実相に、世界の市民が堅実に向き合えたとき、歴史は未来に開かれた過程となりうるのである。

 こうして、「私的経済権力」が跋扈するグローバル社会を俯瞰して、「力」よりも理性を重視するとき、そこに何を見出すかが最も重要である。このとき、重要なことは、世界で市場経済至上主義が拡大しているにもかかわらず、かかる中心的な主体の説明責任が受益者に存在しないうえ、その責任に対しても何ら利益を感じていないことである。この説明責任は、現代世界において絶えず変化する民主主義の要請から求められるべきものといえる。ここまで考察を及ぼしたとき、グローバリゼーションの対策は、次の3つに要約される。(1)ネオ・リベラリズムの再編、(2)ネオ・リベラリズムの構造改革の要求(ネオ・リベラリズムは無期限に有効なのかという問い)、(3)グローバリゼーション以前に戻る必要はないが、ミクロレベルの抵抗運動によって問題を提起し続けること、である。これらの知的パワーは、ヘゲモニーに批判を与えるという意味で、「新しい常識」(New Common Sense)と称される。こうした批判的認識論が、いかにしてオルター・グローバリゼーションを発展させるのか。これを問うことは、カール・マンハイム(K. Mannheim, 1893-1947年)の社会的被拘束性にいう文脈に位置づければ、グローバリゼーションの既知の常識に現在のオルター・グローバリゼーションの知見を組み合わせ、「根拠あるユートピア」(Grounded Utopia)を生み出すよう努力することにも繋がる。そこでは、多様で異なる認識や見解が、人々の討議を通じて共有され、徐々に収斂するという民主主義の実践に繋がる。このような知的なプロセスは始まったばかりであり、壮大な実験は続いてゆくと考えられる[1]

 上述の講演に対して、二つの質問がなされた。一つ目の質問は、反グローバリゼーションとしての抵抗運動をミッテルマンの説のなかでどのように捉えるべきか、というものであった。これに対しては、従来のグローバリゼーション、反グローバリゼーションという二項対立では問題を解けないとしたうえで、ミッテルマンの提示する民主的グローバリゼーションは、オルターなイメージを投げかけており、「新たな」常識で質問にいう抵抗運動を書き換えてゆく作業を想定しているのではないか、ということであった。二つ目の質問は、グローバリゼーションの行き着く先はどのようなものか、というものであった。これに対しては、ミッテルマンは政治学者で世界政府を思い描いている訳ではないことを指摘したうえで、依然として根強い現状の国家間(inter-state)権力関係からすれば、グローバリゼーションの批判・修正に努めていくことが求められているとした。これは、オルター・グローバリゼーションという運動そのものであり、ミッテルマンには必ずしも明確なビジョンはないとも述べられた。



[1] たとえば、毛利聡子「オルタ・グローバリゼーション運動の行方―転機を迎えた世界社会フォーラム」アジア太平洋レビュー(2008年)14頁参照。また、特に、毛利聡子『NGOから見る国際関係―グローバル市民社会への視座』(法律文化社、2011年)第部第2章以下を参照。

 

パネラー報告

北島義信先生
北島義信先生

「親鸞の時代認識と現代」

北島義信先生(正泉寺国際宗教文化研究所所長) 

 

西洋思想の特徴は、自己から発して他者に向かう。他者は、二次的・副次的である。この点、非西欧的なものの一つである仏教が、いかに西欧思想に対抗するのかについて検討された。浄土真宗の開祖である親鸞の教えは、他者から自分を見る過程で、自らが変わり悟りを開くというものである。その中心にあるのは、末法精神である。仏教では釈迦入滅後、正法、像法、末法時代を経るが、現代は末法時代に該当する。この時代は五濁にまみれており、仏陀が存在せず、その教えのみが存在する。したがって、指導者が存在しないなか、人は自らより普遍的な世界に相対することになる。その際、重要な点は、他者から自分を眺めることと、その現象の背後の内容、精神に目を向けることである。これにより、それぞれが異なる存在であること、また個が全体と繋がる存在であることが認識され、普遍的な世界に向かうことができる。

 

松本祥志先生
松本祥志先生

「ウブントゥと現代」

松本祥志先生(札幌学院大学教授)

  

現代文明の一側面とされる民主主義は、平等・公平性を原則とする公的領域で適用される。とはいえ、それは、その概念自体が内包する問題点を露わにすることもある。そこで、停滞する現代文明を切り開く方途は、民主主義の構成要素である私的領野に向けられる。これは、差異・差異化を原則とする。その差異を迎え入れること、即ち自己が他者によって存在することを示す鍵となるのがウブントゥUbuntu)という概念である。具体的には、贈与・歓待があげられる。とりわけ、交換的取引に回収されない、名宛人なき生け贄が象徴的である。これらによって自我は差異性のなかに包摂され存在を失い、そうして失われた自我は、無限な他者の差異性から却って人格(均質化した人権に代替されたもの)を取り戻す。それによって、個は成熟し、縁のないような問題にも関与するようになる。ここで初めて私的領野が切り開かれる。この点、私的領野に基礎を置かない公的領域では、民主主義は政治的なもの(国民が望む目的地に行きつくもの)にはなりえないのである。

 

櫻井秀子先生
櫻井秀子先生

「イスラーム的企業と現代」

櫻井秀子先生(中央大学教授)

 

 グローバル化の一つの抵抗として捉えられる企業経営のあり方を考察する。その際、世界的経済の状況は、企業と国家が結託したような国家経済体を成して、圧倒的な資力をもつコーポレーションが席捲している。これに対し、イスラーム圏では法人格が認められない(イスラーム法)ために、その存在の永続性がないことから、経済発展が阻害されているとの指摘もある。このとき、会社を捉える代替的な概念として、シャリカとワクフが考えられる。シャリカの本来の意味は、ともに参画する、連帯する、パートナーとなる協業の場や経営形態を指す。他方、ワクフは、原義が留まる、停止した非流動的な状態を指し、神の権益権とみなされるような永続性を備えている。しかしこれは、実質的には民衆自身の所有に他ならない。そして、ここには神の絶対的所有というものに則った国有、私有および公有という所有形態が存在する。たとえば、営利部門と非営利部門の両者が互いに資金を出し合い、これらが不可分の状態で成立している。このシャリカとワクフの複合体をイスラーム的企業と特徴づける。その特質を日本の伝統的企業と比較することを通じて、企業概念の脱構築を目指し、新たな抵抗運動を発想できるように思われる。 

ディスカッション

ディスカッションの様子
ディスカッションの様子
ディスカッション (敬称略)
 

森光(司会)(聴衆からの質問を誘って)

 (聴衆からの質問)ウブントゥの言葉や理念が、アフリカの現場(現実の社会)ではどのように生きているのか。

 

松本祥志 アパルトヘイトが廃止されたとき、コサ族とズール族の武装蜂起が懸念された。そこで、デズモンド・ツツ司教(D. M. Tutu, 1931-)とネルソン・マンデラ(N. R. Mandela, 1918-)は、ウブントゥを使い、真実和解委員会(The Truth and Reconciliation Commission)を設立した。アフリカでは、「実践して効果のないものは偽りである」、「真実ではない」、または「自己完結的に、無矛盾的に理論が展開されているから、それが正しいということはありえない」という考えがある。この観点からして、結果として武装蜂起は起きず、真実和解委員会は一定の成功を収めたと評価される。他方、ルワンダのガチャチャ、ウガンダのマトォ・プトォなど、他の地域における同様の試みについては、成功も失敗もみられた。かかることから、このような事後の対処として、急遽その実施方法を大量生産化するための法制度をつくり、そのための臨時公務員を採用して、2週間のセミナーで訓練するような制度がつくられたが、失敗している。また、企業経営に関しては、ウメ・ベンツィ(社会又は他者に対して責任を果たすという意味)、英語でいうWORKという概念があるが、これは金儲けのためではなく、誰かのためにやるのが原義であり、この意味におけるWORKがうまく機能するようなNPOなどは成功しているといえる。

 

森光(司会) ワクフとウブントゥについて、イスラム学者からみたウブントゥ、アフリカの視点からみたワクフという観点から、両者の異同はどのようなものか。

 

櫻井秀子 アフリカでは、「人間は他者によって人となる」とうかがった。これは、イスラムからすると、一神教としてのアッラーのタウヒードの一化としてのワクフと同じものともいえる。国家でも個人でもないワクフは、ウンマを実体づけるためのものである。これは、共同体に対する贈与を可能にするものであって、絶対的な所有、即ち神の所有であるがゆえに、民衆の所有であるという構図となっており、上(国家)から強要される贈与にはなりえないのである。これは、松本先生のいう私的な物における公から始まるクレプトクラシー(Kleptocracy)が生ずるということで、公のあり方が異なるということになる。すなわち、私的な贈与はない。この意味で、ワクフが衰退すること―それは即ち近代におけるイスラム文化圏そのもの―は、社会自体も衰退、弱体化することを意味する。

 

松本祥志 ウブントゥの起源は、古代エジプトのマアト(Ma'at)に求められる。この人物は、後に女神(ラー(Ra)の娘または姪)になる。ヌン(ウブ)とは、始まりも終もない暗いところにあった沼のような所をさす。これが、紀元前3,000年頃、一瞬にして宇宙に変えられた。一方、ントゥにあたるのがマアト(女神、道徳)である。ヒンドゥー、仏教、イスラム、キリスト、ユダヤは、全て遡ればエジプトに行き着く。「人間は他者によって人になる」というのは、近代以前は、当たり前の考え方であった。法学での二つのルール、即ち実体法とその法の作り方という観点からすれば、イスラムは道具が豊富であるが、その根底をなす哲学については、ウブントゥも仏教もイスラムも重なるものがある。しかし、ウブントゥは、学問体系として研究者はいるものの、仏教やイスラムに比して相対的に程度が低く、その学問的な資料も少ない。

 

北島義信 ウブントゥ、タウヒード(ワクフ)、空、縁起は、同じ考えである。これは、ヒンドゥーにもある。インドでは、パラ・タントラ(on theory)という、物事がくっついているという意味の概念がある。これは、人体概念のように、臓器は各々機能が異なるが、他によって自分が生きているということが説明される。したがって、他を殺すことは自らを殺すことと同義である。悠久の歴史のなかで、人類は世界中で交流し、その中で互いが学び合いながら、それぞれの地域の個性を創出し、結果として内容において非常に共通性の高いものを創ってきた。仏教では、時間軸を、正法、像法(釈迦入滅後の1,000年間)、末法とした。龍樹は、釈迦の没後700年経って、空、縁起を著し、そこでは、人間を結束させて生きてゆけるようにした。しかし、また時代の変遷のなかで、それが潰れていくということが繰り返された。日本では、中世の寺内町と惣村が共同体に類似した概念にあたろう。そのなかでは、皆を結束させるものとして浄土真宗の理論があった。それが、ウブントゥに類似している。松本先生が述べたように、ずっと昔には当然あったことが繰り返し出てくるので、これを現代的視点で捉え直してゆく。これは、『大集経』(だいじつきょう)にあるように、そこに込められた意味を現代化せよということであろう。理論的な精緻さにおいてはイスラムが優れているが、思想としてそこに込められている内容は共通であり、差はない。

 

奥田和彦 (北島に向けた質問として)道元と親鸞の思想的な異同は何か。

北島義信 「他者から自己へ」という思想は、道元(1200-1253年)の『正法眼蔵』にもみられる。信仰体験自体は、最初、自己から他者へ向かうが、それが突き破られると、他者の存在から自己に目覚めるようになる。道元は、他者から自己を見る点で、末法五濁(劫濁、見濁、煩悩濁、衆生濁、命濁)を認めたうえで、そこからの道筋(それをどう突き破るのか)を展開した。この点、末法五濁は、真実に至るために釈迦が述べた一つの道筋であって、出家仏教のなかにあるといえる。そこでは、仏法が念頭にあって、只管打坐が行われる。道元は、権力に対して非常に厳しい姿勢をとったので、必然的に武士などのインテリ層が多く惹きつけられることになった。そのため、道元の思想には近代的な自我と繋がるものはあるが、民衆に拡がるという発想はない。とはいえ、思想をどのように日本化するのかという視点からすれば、道元と親鸞(1173-1262年)には共通性がある。思うに、鎌倉時代の改革派仏教の共通点はシンプルで易しい。これらは、現象的には異なるが、鎌倉仏教という共通性の下にあり、日蓮(1222-1282年、南無妙法蓮華経)も親鸞に近い。親鸞の思想には、自分がもっているものを如来に投げ入れると、如来からこちらに展開されるというものがある。法然(1133-1212年)は、親鸞から学んでいるとして喜ぶ者もある。親鸞、法然の口称念仏は、私を捨てて他を学び取っていくという思想である。

 

EU専門の聴衆から櫻井に質問)EUがトルコに加盟するとすれば、それは、イスラムが市場経済に負けることを意味するか。

櫻井秀子 オスマントルコ(13世紀後半~1923年)以降、トルコは国民国家体制となったが、その後もトルコはイスラム市場として繋がっている。なぜなら、トルコにとっては、イスラム的なものの方が有利だからである。くわえて、近代文明に則った市場経済は、既に登りつめており、後は下降線を辿ると考えられる。したがって、トルコがEUに加盟する可能性はなく、EUがトルコを受け入れる可能性もないと思われる。

 

(聴衆から奥田に質問)通常、学問の方法として、抽象から具体、具体から抽象といわれる。この点、グローバリゼーションの概念化を行うにあたり、抽象の下の具体というところをお聞きしたい。概念化の下層の部分について、欧米の歴史、欧米の現状といったものの他に、イスラム企業、ウブントゥ、浄土宗のような存在を組み込んで研究を行なっているのか。それとも、欧米の歴史や状況に基づき、研究を行なっているのか。すなわち、権力を有する欧米中心の「力」によって行われているグローバリゼーションは良いとしても、特にオルター・グローバリゼーションは、グローバリゼーションの負の効果が及ぶ側の問題を論じる際、各地域に固有の存在を視野に入れずに論じると、欧米中心的な研究になってしまうのではないか。

奥田和彦 ミッテルマンは、そうした固有の各地域の存在を視野に入れて議論を展開している。抵抗政治というものは、「場」を重視する。また、ミクロな分析も重要視されている。

 

(同じ質問者)個別に生じている具体的な事象まで視野に入れているのか。また、つくられたオルター・グローバリゼーションという概念化について、それが、また別の形で非西欧を抑圧していく面があるように感じる。たとえば、民主主義という概念も、言語形式としては同じ意味をもつのであろうが、内実はそうではないということがままある。このことは、オルター・グローバリゼーションという概念についても起こりはしなのであろうか。

奥田和彦 現代社会のネオ・リベラルなグローバリゼーションは、余りにもイデオロギー化しており、これに対応すべく、批判的な意識からミッテルマンは研究を進めている。他の地域でもグローバル化の動きは出てきている。これは、クレオール(Creole)という概念で説明される。たとえば、ユーラシアの首都の文化交流(これが最初のグローバリゼーションという論者もいる)と捉える研究者も現れている。そこでは、アジアと欧州の交流の中で、互いに学び合ってきている。これは、混血による新しい国家や文化を希望する概念である。この語は、元来、植民地で生まれた白人を意味し、支配する白人の言語、及び白人の文化などに混ざり合った状態を指す。これに対し、新たな文化概念としてのクレオールで展開されたのは、西欧文化と非西欧文化との接触によって新たな文化が生まれたと理解することで、旧植民地時代の他者性を克服し、新たな希望を見出そうとする試みである(知恵蔵2005年)。オルター・グローバリゼーションは、パワーと結びついているものを暴露しながら、社会から離れて象牙の塔に引きこもる論者ではなく、社会の内在平面から洗練によって立ち上がるグラムシのいう「有機的知識人」が、民衆と新しい常識を構築しようとしているものである。また、他方で、他の抵抗運動として北米以外の地域にも連帯性を見出している傾向にある。アマルティア・セン(1933-)も地域性の差異への配慮について懸念している。たとえば民主主義は、何も西欧だけのものではなく、普遍的かつグローバルな価値をもつ概念であって、これは、それぞれの市民社会から出たものである。この点、ミッテルマンは、アフリカで長く生活した経験上、それぞれの地域性を良く理解していると思われる。したがって、オルター・グローバリゼーションは、欧米中心的な概念ではないといえよう。

 

森光(司会)パネラーから一人ずつご発言を。

松本祥志 欧米人のいうグローバリゼーションにおいて、米国、欧州がグローバル化することはありえない。赤色は、赤色になりえないからである。すなわち、近代のグローバリゼーションは、欧米基準のグローバリゼーションだからである。よって、その対象は非西欧である。それ以外のグローバリゼーションは、自己矛盾にあたる。これを民主主義について敷衍すると、数ではなく、各々の人格や倫理を尊重し育むという点に留意した民主主義だとすれば、そこに全会一致はありえなくなる。この点、数量民主主義は、我々から人格や倫理を奪うものである。

櫻井秀子 イスラムの立場からは、近代以降のグローバリゼーションを批判する論者には、アブ・ルグド(Lila Abu-Lughod, 1929-2001)やグンダー・フランク(Andre Gunder Frank, 1929-2005)らがいる。文化的には、イスラムの方が数字化、数量化の歴史は早い。代数についての著作の原題が algebra として今に残るほど著名なアル・フワーリズミー(785年頃-847年)もいる。イスラムでは、数量化することで、世界を再構築するようなあり方があった。すなわち、神の創造した時間と数量は対応関係にある(遺産相続のときなどでも用いられた)。そこでは、キリスト教的世界観とは異なる別の世界を構築するために、数量化が行われていた。翻って、西欧世界では、永続的企業が可能になっている。この点、オルター・グローバリゼーションは、数量化と世界との関わりを脱却する人間との関わりを含意しているように思われる。

北島義信 近代以前のグローバル化について、仏教は、かなり古い時代からグローバル化がなされている。それも基本的には人間を解放してゆく思想として、差別、抑圧を伴わず日本に入ってきた。したがってそれは、支配を伴わないグローバリゼーションの一つといえる。米国ノートルダム大学終身教授(政治理論)で、グローバリゼーションを批判的に分析するダルマイヤー(Fred R. Dallmayr)もそのように述べている(片岡幸彦訳『オリエンタリズムを超えて―東洋と西洋の知的対決と融合への道』新評論、2001年など)。次に、近代のグローバル化についてである。そもそも、「アジアと誰が言ったのか」とか「大陸でアジアをどこで認識するのか」と言われることがある。この点、自己中心的世界が近代の特徴である。そこでは、神を内在化することで自己に取り込み、その後神を放り出して自らが神になり、この時以来、それが国家となった。そう考えると、近代的な枠組でグローバリゼーションを突破するというのは難しいと、仏教は教えていると言えよう。宗教に込められたものは、それを突き破るということ、即ち、他者から自己へのベクトルである。そもそも仏教は、発展史観をもたず、時間の経過とともに徐々に悪化し、終末を迎えると弥勒菩薩が出てきて、そこからまた始まり、時間の経過とともにまた悪化する。そして再び、という循環型の展開を辿る。そこでは、正に主体のあり方が問われている。それこそ、世界のグローバリゼーションが我々に問うているものであって、これを打ち破る道筋を模索することが肝要である。

黒田壽郎 二つのことが重要である。第一に、問題を語る際、絶対に核心を外さないこと、第二に、それぞれの専門分野の考え方の基調にある一一の存在性、差別性、固有性を徹底的に擁護しながら、しかもそれらが全体のなかにあって繋がりあうこと、である。一番大切なことは、私的領域の絶対的な擁護、一一の個の誰も外さないで、その個の特異性を絶対的に守りながら、しかも全ての他とどう関係を結ぶかという基本的な姿勢を崩さないということである。欧米は、自らが考えている民主主義しか評価しない。その例として、アルジェリアでイスラム政党が大多数を占めたことがある。このとき、西欧側がこれに干渉(介入)し、イスラムが民主的なことをやる筈がないとして、少数政党に背後から軍事援助を行なうことでこれを転覆したので、現在に至るまでアルジェリアが不安定な遠因となっている。欧米は、表現上は民主主義を主張するが、その民主主義の名の下で、不正義が公然と行われている現状を見ると、その概念すら多義的なものと疑わざるをえない。したがって、ある種の論理グローバリゼーションとかオルター・グローバリゼーションを考える際、その概念が貫徹するとは到底思えない。この点、ミッテルマンは、非西欧的な文化に対してかなり理解はあると思われるが、社会制度を論じるにあたり、シャリカやワクフといった存在を知らずに言われた場合、その言質に疑問を感じる。この点、欧米の研究者は、知らなくても知ったような振りをする者が多い。これは、現地の研究者からすれば、実際の理解を通した問題の解決能力に相当の開き(差)があると思われる部分である。したがって、異文化のことを他者が知っているとは容易に思わない前提を敷くと良い。そして「グローバル化された世界で、我々は何を守ってゆくことができただろうか。また、何を基本として考えを致さなければならないのか。」と問う必要がある。ここで明白なことは、現在の個人主義、現在の生活形態、即ち生活様式の下では、個人が自らの生を完全に生きられない情況に至っていることである。「私」をみる私、見る私と「見られる私」、これら二つが並存する考え方が求められている。“「我々」ゆえに我あり、なのである。”現在は、「見られる私」を強調するような社会である。これを乗り越えて、いつでも冷静、冷徹に自分自身をみて、その目で他者をみる。すなわち、他者性に対する厳しい見方を求めてゆかなければならない。その姿勢が、自らの文化、異質な文化に対する正確な認識に繋がる。自分が自らの文化を理解していることと、他者を理解しているということは、絶対的に異なるものである。他者は、絶対的に他者であって、私のなかに包容されるものではない。そういう種類の絶対的な他者というものをいつも認めながら、しかも、そこでどう調和してゆくか、これが現代社会の社会的な存在としての人間を正しく見るための根幹である。

 

加藤淳平(閉会の辞)私は、黒田先生の影響もあって、一化性、差異性を守っている。卑近な例として、西洋医学では、同じ病気には同じ処方を行うが、漢方医学では、個々に合わせた処方を行うことは示唆的である。ところで、1989年の冷戦終焉以降、欧米人は自信を回復して、自らの価値観を世界に拡げようとした。その一つの例が、ネオ・リベラリズムによるグローバリゼーションである。冷戦以前は、国際法は国内問題不干渉原則が固持されていたが、現在はどんどん破られている。実際、構造改革政策では、国家の主権は無視され、世界銀行の指示通り行われている。それが極まって21世紀は迎えられた。シリアの問題も、間違った情報が流されることで、内実が分からなくなっている。そのなかで、我々がどうすべきか。この点につき、本日の大会はそれぞれの事実を明確に認識できた一日であった。それぞれの地域において実際には何が生じているのか、その地域それぞれの価値観とは何であるのか。民主主義の内包は、それぞれがどうなっているのかを冷静に見据える必要があり、他方で、それがますます困難になってきている現状がある。これを行うためには、身の周りの現実をきちんと見ることから始まる。また、そこからしか発想できない。そして、そこから世界のあり方を見直していく。思うに、西欧に対する最大のあこがれは、科学であった。これは、即ち、現実を見る目の明晰性と言い換えられる。今、それは欧米主導の下にはない。だから、いま一度、欧米から目を離して非欧米の概念、思想および考え方を問い直す必要があるのではないか(了)。

 

本日の大会は、グローバリゼーションに対する批判として出てきたオルタ—・グローバリゼーションを議論する際に、「他から自へ」という根本的視点で通底するイスラム、ウブントゥ、仏教の各側面から検討して、若干なりとも今後の展望ができた点で、大変に有意義なものとなった。

懇親会(at じぇびあん)


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