7月(171回) 講演要旨・質疑応答

地域文化学会第171回月例研究会・公開セミナー 2012年7月14日(土)

講師:鈴木健先生(前埼玉工業大学副学長)

テーマ:日本型経済社会の模索

―欧州の日本人といわれることを誇りとするスウェーデン人―

 

[講演要旨] 

 グローバル化が進展するなかにあって、日本ではマルクス経済学にいう労働力の価値をも下回る賃金の労働者が増え続けており、このままでは日本の経済社会の縮小再生産化(ジリ貧化)という帰結をもたらすことがほぼ確実視される。このような経済社会にあって、ジリ貧化を避けるにはどのような処方箋があり得るのか、日本で近年主張されている4つの考え方、即ち①新自由主義、②制度転換と政策的手当、③成熟社会の経済学、④「分かち合い」の経済学、を代表的な論者の議論を基に紹介した後で、鈴木先生の考えが述べられた。

 国際基督教大学の八代尚宏客員教授(1946-)によれば[i]1980年代から広がった新自由主義は、市場競争を重視して、これを通じたモノの価格が決定され、政府は補完的な役割を担うのみであることを基本とする。一方、政府には、市場競争を妨げるカルテル等の企業行動を禁止し、最少のコストで最大の効用を達成する効率的な所得配分政策をとることが求められる。たとえば、環境政策でいえば、政府の役割は環境の価値を企業等が取り込むよう炭素税を導入する等、市場経済を「補正」する。この点、新自由主義を体現したとされる小泉政権の問題は、目指した方向性の誤りではなく、それが「不十分」または「不徹底」なことにある。そこで、新自由主義に基づく大胆な改革なしには、日本経済の長期停滞問題は解決しないと指摘した。

 東京大学の戸堂康之教授(1967-)は[ii]、日本には高度の技術はあるものの、制度が十分に整備されていないという認識から、制度を転換することによって、日本企業が強さを発揮できるような環境をつくることが重要と指摘する。とくに、グローバル化を深化させるため、TPPTrans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement環太平洋戦略的経済連携協定を初めとするEPAEconomic Partnership Agreement経済連携協定の締結等を支援し、貿易や投資等を活発にする必要性が主張される。また、地方の産業集積のため、各地に特区を設置し、税制優遇・規制緩和等の措置をとるべきとしている。

 他方、大阪大学の小野善康フェロー(1951-[iii]は、日本社会が既に成熟社会にあるとの認識に立って、不況を長期的な現象として捉える必要があると主張する。したがって、経済政策も従来の経済学とは異なる前提で考えるべきであるという。そこでは、企業が新たな需要を生むプロダクト・イノベーションに励む一方で、政府は介護や保育、観光や健康等国民生活の質を上昇させるような分野で雇用を創出する政策を実行すべきとしている。

 また、東京大学の神野直彦名誉教授(1946-[iv]は、不況にあえぐ日本においても失業者が増大し、貧困や格差は拡がるばかりなので、この危機の時代を克服するには、他者の痛みを社会全体で「分かち合」う、新しい経済システムの構築が急務としている。具体的には、衰退していく旧来産業から新しい産業分野への移行を促すために、生活を保障した上で雇用や解雇を容易にし、再教育や再訓練を実施するよう提案する。この点、スカンジナビア諸国がドイツよりも高い経済成長を達成しているのは、産業構造の転換を実現したことに起因するという。

 上述の議論を踏まえ、鈴木先生は、日本が既に成熟社会であることを前提とした新自由主義による規制緩和のみでは雇用不足問題は解決しないと指摘された。そこで、介護や保育、健康等の国民生活の質を上げる分野において、政府による雇用の創出と成長産業への労働者のスムースな転換、特に再教育や再訓練等の積極的な条件整備が課題という。すなわち、市場経済と「分かち合い」の経済のバランスがほどよくとれているスカンジナビア・モデルを参考にして、日本型経済社会の再構築に取り組むべきではないか、と指摘して講演を終えた。

 

[質疑応答](敬称略)

上記の講演に対して、以下の質疑応答がなされた。

(聴衆1)教育をフィンランドモデルにするためには、学区を小さくしなければならないと考えるが、どう考えるか。

(鈴木)フィンランドは、できない子どもをなくすことを教育目標に掲げている。少人数授業のうえに、授業科目によってはアシスタントを配置して理解力に欠ける生徒をサポートするという充実ぶりである。初等教育については、フィンランドを参考にする必要があるのではないか。

 

(聴衆2)いかに良いシステムを構築しても、人の教育に重点を置かないと、日本社会は良くならないのではないか。

(鈴木)日本の衰退の最大の原因は、人間の劣化にあると思われる。教育に関しては、教師の養成方法に問題があり、フィンランドのように教員養成課程を充実して、優れた教師を養成する仕組みを構築する必要があるのではないか。フィンランドの教育の特徴については、堀内都喜子(1974-)『フィンランド豊かさのメソッド』(集英社、2008年)も参照されたい。

 

(聴衆3)スウェーデンの「ラーゴム(lagom)」(ほどほど)の意味は?

(鈴木)市場経済と「分かち合い」経済の中間という意味。スウェーデンは、(以前の)日本(社会)を評価していたが、日本はそのことの意義をよく理解していなかった。新自由主義思想に基づき、中曽根首相は国鉄や電電公社の民営化や国の予算のマイナス・シーリングを敢行したが、それよりも経済社会への影響が大きかったのは、2000年頃から企業で個人の成果主義が導入されたことや、小泉政権の誕生があったからである。これらをもって、それまで部署のチームとして仕事をしていたものが、個々の成果として評価されることとなった。たとえば、ある大手コンピュータメーカーでは、いち早く成果主義を取り入れたが、チームの中で要員を教育することがなくなるなど様々な弊害が生じたため、もとに戻した経緯がある。

 

(聴衆4)資本主義的経済においては、当然に不平等・不均衡は生じる。不平等に対しては、共同体がその手当を政府に要求し、それを受けて政府が不平等を是正する。資本主義では、労働者が生み出した製品を労働者が購入しており、この循環が重要である。そこで、循環させるために共同体を解体して徹底的に個々に落とし込むか、アジアやBOPBottom of Pyramid)に行って労働力を調達する等して、この循環を活性化するということになると思われる。たとえば、日本社会で賃金が高い場合には、企業は海外の安価な労働力を使用する等、対応している。かかる情況にあって、シェアする(分かち合う)というが、シェアする「場」である共同体が(日本には)既にないのではないか。労働者の移行についても、これまでのパイを他へ移行するだけで、共同体が既にない情況にあっては、問題の根本的な解決にはならないのではないか。

(鈴木)1929年の世界恐慌によって社会統合が危機に瀕した時にスウェーデンは、「国民の家」というヴィジョンを掲げて共同体の強化を図った。この点、人口規模が900万人程度にすぎないスウェーデンの成功例を日本にそのまま導入するのは困難であろう。社会保障や教育といった「分かち合い」の主たる運営主体は地方自治体であるので、地方分権を推進して対象人口を小さくすることを通じて、共同体の再構築を図るしかないのではないか。

 

(聴衆5)労働市場と金融市場は、自由化し過ぎてはいけないということに同意するが、教育も自由化し過ぎてはいけないのではないか。

(鈴木)日本は、大学教育を除いて殆ど民営化しておらず、初等・中等教育は自由化していない。むしろ文科省の関与が強すぎるのではないか。

 

*このように活発な質疑応答がなされた後、司会の黒田壽郎先生が、今回の内容を語る場合に、ナオミ・クライン著、幾島幸子・村上由見子訳『ショック・ドクトリン惨事便乗型資本主義の正体を暴く(上・下)』(岩波書店、2011年)を勧めておられた。

ショック・ドクトリン惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上

ショック・ドクトリン惨事便乗型資本主義の正体を暴く 下

 

以上

[i]八代尚宏『新自由主義の復権―日本経済はなぜ停滞しているのか』(中央公論新社、2011年)を参照。

[ii]戸堂康之『日本経済の底力―臥龍が目覚めるとき』(中央公論新社、2011年)を参照。

[iii]小野善康『成熟社会の経済学―長期不況をどう克服するか』(岩波書店、2012年)を参照。

[iv] 神野直彦『「分かち合い」の経済学』(岩波書店、2010年)を参照。